2014年12月28日
可愛い子供たちと鋭い警句
佐藤邦雄さんの今年最後のカレンダーです。


りんごのような赤い玉を持って、お父さんかお母さんを見上げている子熊
クリスマスツリーに手をやりながらこちらを見ている子ペンギン
ケーキのような箱を運んでいる子豚
どうしてみんなこんなに可愛いんでしょう?
ただこの12月のカレンダーに添えられた文章は、日本を始め世界に対する強烈な警句のように思えます。

「もうすぐサンタさんが来てくれます。
みんなサンタさんのお話しを楽しみにしています。
でも、この頃のサンタさんはお話の途中で涙ぐみます。
世界を回っているサンタさんは言います。
『みんな、どうして仲良く出来ないのかなあ。』と。
ありがとうサンタさん、私達仲良くするから、
来年も楽しいお話を聞かせてね。」
です。
声高に反対を叫ぶより、静かな語り口の中に、現世界に対する強烈な警句が含まれています。
りんごのような赤い玉を持って、お父さんかお母さんを見上げている子熊
クリスマスツリーに手をやりながらこちらを見ている子ペンギン
ケーキのような箱を運んでいる子豚
どうしてみんなこんなに可愛いんでしょう?
ただこの12月のカレンダーに添えられた文章は、日本を始め世界に対する強烈な警句のように思えます。
「もうすぐサンタさんが来てくれます。
みんなサンタさんのお話しを楽しみにしています。
でも、この頃のサンタさんはお話の途中で涙ぐみます。
世界を回っているサンタさんは言います。
『みんな、どうして仲良く出来ないのかなあ。』と。
ありがとうサンタさん、私達仲良くするから、
来年も楽しいお話を聞かせてね。」
です。
声高に反対を叫ぶより、静かな語り口の中に、現世界に対する強烈な警句が含まれています。
2014年12月17日
筑濱パリへ行く
私の所属するベンチャーコミュニティーの世話人会メンバーである漫画家の筑濱健一さんが、来年1月13日から24日までパリで個展を開くことになりました。
今日の世話人会で、筑濱さんから詳細と宣伝用ポスターの紹介がありました。


いよいよベンチャーコミュニティーも国際的になって来ました(^_^.)
今日の世話人会で、筑濱さんから詳細と宣伝用ポスターの紹介がありました。
いよいよベンチャーコミュニティーも国際的になって来ました(^_^.)
2014年12月14日
十三しょんべん横丁
阪急電車十三駅の西改札口を出た所にしょんべん横丁という飲み屋街があります。
そこの奥に「常吉」と「すすめ」というお店があります。
いっぱい飲み屋「常吉」のオーナー小林君とは古くからの知り合いなので、ちょくちょく立ち寄ります。



「常吉」の筋向いにカラオケスナック「すずめ」があり、「常吉」に行った鬨には歌を歌いに行きます。


しょんべん横丁のお店は狭いので、トイレがない店も多く(「常吉」にはありますが)、公衆便所に行きます。
それが「しょんべん横丁」という名前の由来かもしれませんが、このしょんべん臭い公衆トイレこそ「しょんべん横丁」の象徴であり、私は大好きで、「常吉」に行ってもトイレはこの公衆トイレに行きます。
しょんべん横丁は今年の2月に火災が発生し、横丁入り口附近が全焼しましたが、幸い奥にある「常吉」と「すすめ」はかろうじて被災を免れました。
私はこの公衆トイレが火事で無くなってしまったのではないかと心配しましたが、大丈夫でした。



女性用トイレは、お店の人が鍵を貸してくれます。

このトイレが無くなると、なんだか「しょんべん横丁」じゃなくなるみだいに思うのです。
横丁入り口附近は10月末か11月まで板塀が張られて通り抜け禁止となっていたため、店に行くには遠回りをしないと行けず、かなり寂しい状況でした。
通り抜けができるようになっても、未だに以前のような客足は戻ってきておらず、何とか早く復興して欲しいものです。


そこの奥に「常吉」と「すすめ」というお店があります。
いっぱい飲み屋「常吉」のオーナー小林君とは古くからの知り合いなので、ちょくちょく立ち寄ります。



「常吉」の筋向いにカラオケスナック「すずめ」があり、「常吉」に行った鬨には歌を歌いに行きます。


しょんべん横丁のお店は狭いので、トイレがない店も多く(「常吉」にはありますが)、公衆便所に行きます。
それが「しょんべん横丁」という名前の由来かもしれませんが、このしょんべん臭い公衆トイレこそ「しょんべん横丁」の象徴であり、私は大好きで、「常吉」に行ってもトイレはこの公衆トイレに行きます。
しょんべん横丁は今年の2月に火災が発生し、横丁入り口附近が全焼しましたが、幸い奥にある「常吉」と「すすめ」はかろうじて被災を免れました。
私はこの公衆トイレが火事で無くなってしまったのではないかと心配しましたが、大丈夫でした。



女性用トイレは、お店の人が鍵を貸してくれます。

このトイレが無くなると、なんだか「しょんべん横丁」じゃなくなるみだいに思うのです。
横丁入り口附近は10月末か11月まで板塀が張られて通り抜け禁止となっていたため、店に行くには遠回りをしないと行けず、かなり寂しい状況でした。
通り抜けができるようになっても、未だに以前のような客足は戻ってきておらず、何とか早く復興して欲しいものです。


2014年12月02日
12月2日の記事
先週金曜日に、東京であった個人情報法改正に関するセミナーを受講しに行って来ました。

開始が朝10時からなので、朝一の新幹線で行けないことはないのですが、慌しいのと万一遅れると話しにならないので、前の晩に近くのビジネスホテルに11時過ぎに入りました。
朝起きると、御茶ノ水の駅をはさんで、東京医科歯科大学と順天堂大学、それに湯島の聖堂が見えました。

私は、生れは宝塚なのですが、3歳から16歳まで東京で、中学生の時に東京医科歯科大学で盲腸の手術を受けています。
勿論いずれの大学も当時の学舎はなく、近代的な高層ビルになっていますが、当時の思い出が彷彿とされました。

手術前に看護婦さんにアソコの毛まで剃られて、恥ずかしい思いをしたので、お見舞いに来たクラスメイトの女の子にその話しをしたら、クラス中で「島村君の盲腸」が有名になっていました。
また東京医科歯科大学は当時落ち研が盛んだった様で、「ここは東京医科歯科大学ではなく、東京はなし家大学だ。」と病院の誰かが言っていたこと。
盲腸の手術後は笑うとお腹が痛くなるので、笑わないようにしているのに、同室(6人か8人の大部屋)のオジさんが、何とか笑わせようと色々と面白い話しをしかけて来て困ったこと。
それからハッキリした記憶はないのですが、心臓弁膜症と言われて、重い足取りで(ここだけは妙に覚えています)順天堂大学へ検査に行き、何ともないとの結果が出たことなど。
セミナー会場のあった御茶ノ水ソラシティカンファランスセンターはニコライ堂の真ん前でしたので、これも写真に撮りました。



開始が朝10時からなので、朝一の新幹線で行けないことはないのですが、慌しいのと万一遅れると話しにならないので、前の晩に近くのビジネスホテルに11時過ぎに入りました。
朝起きると、御茶ノ水の駅をはさんで、東京医科歯科大学と順天堂大学、それに湯島の聖堂が見えました。
私は、生れは宝塚なのですが、3歳から16歳まで東京で、中学生の時に東京医科歯科大学で盲腸の手術を受けています。
勿論いずれの大学も当時の学舎はなく、近代的な高層ビルになっていますが、当時の思い出が彷彿とされました。
手術前に看護婦さんにアソコの毛まで剃られて、恥ずかしい思いをしたので、お見舞いに来たクラスメイトの女の子にその話しをしたら、クラス中で「島村君の盲腸」が有名になっていました。
また東京医科歯科大学は当時落ち研が盛んだった様で、「ここは東京医科歯科大学ではなく、東京はなし家大学だ。」と病院の誰かが言っていたこと。
盲腸の手術後は笑うとお腹が痛くなるので、笑わないようにしているのに、同室(6人か8人の大部屋)のオジさんが、何とか笑わせようと色々と面白い話しをしかけて来て困ったこと。
それからハッキリした記憶はないのですが、心臓弁膜症と言われて、重い足取りで(ここだけは妙に覚えています)順天堂大学へ検査に行き、何ともないとの結果が出たことなど。
セミナー会場のあった御茶ノ水ソラシティカンファランスセンターはニコライ堂の真ん前でしたので、これも写真に撮りました。